ある日の夕方、娘を保育園に迎えに行ったときのことです。
園庭で子どもたちと鬼ごっこをして、帰るときに、
「遊んでくれて、ありがとう」
と言われました。
親御さんに言わされたのでしょう。
それを聞いたわたしとしては、なんだかちょっと切ない気持ち。
ありがとうは、うれしい言葉なのでは?
なぜ、「ありがとう」と言われて、切ない気持ちになったのだろう?
「ありがとう」はうれしい言葉のはずなのに。
少し調べてみようと思い、「ありがとう 語源」で検索してみました。
英語の「ありがとう」
英語の「ありがとう」は、「サンキュー(ThankYou)」ですね。
サンキューはサンク・ユーで、ユー(you)は「あなた」ですが、サンク(Thank)の語源はご存じでしょうか?。
語源にこだわる哲学者ハイデッガーさんによりますと「think」の古英語のthencan「思考する」と「thank」の古英語のthancian「感謝する」の語源のルーツは同じだと言っています。(『思惟とは何の謂いか』 創文社『ハイデッガー全集』第8巻)つまり、サンク(thank)はシンク「think」(考える、思う)に通じ「サンキュー(ThankYou)」は、「あなたのことを思ってますよ」ということであり、「あなたからのご恩(親切)を忘れていませんよ」といった心なのでしょう。
ドイツ語の「ありがとう」
ドイツ語の「ありがとう」は「ダンケ(Danke)」。
ドイツ語は、英語と同じゲルマン語派で、ありがとうの語源も英語と同じ関係です。
つまり、「ありがとう」を意味する「ダンケン(danken)」も、「デンケン(denken:考える)」と語源が同じなのです。フランス語の「ありがとう」
フランス語の「ありがとうは」メルシー(merci)。
メルシーは英語の「慈悲」を意味する「マーシー(mercy)」と同じ語源で、ラテン語の「メルセデス(merces,edis)」。
そう、あの「メルセデス・ベンツ」の「メルセデス」ですね。「恩恵」という意味です。
やはりご恩を受けて「ありがとう」という心のようです。イタリア語の「ありがとう」
イタリア語のありがとうは「グラーツィエ(grazie)」。
語源はラテン語のgratia。これも「恩恵」の意味。英語の恩恵「グレイス・grace」の語源でもありますね。有名な歌「アメイジンググレイス」のグレイスです。スペイン語の「ありがとう」
スペイン語の「ありがとう」は「グラシアス(gracias)」。これもイタリア語と同じで語源はラテン語のgratia。
ポルトガル語の「ありがとう」
ポルトガル語で「ありがとう」は「オブリガード (obrigado)」。
なんとなく響きが似てますよね。「おぶりがど」⇒「あぶりがと」⇒「ありがと」⇒「ありがとう」
ここから「オブリガード 」が「ありがとう」の語源ではないかという、まことしやかな説があるのですが。ポルトガル語が日本に伝わったのは16世紀ですから、それ以前にあった「ありがとう」の語源にはなりえないですね。
「オブリガード (obrigado)」は、動詞「obrigar(義務づける)」の過去分詞が語源だそうです。
ですから「恩義を受けている」という意味になります。恩を受けている相手に「ありがとう」という気持ちを伝える「ありがとう」といった心でしょうか。韓国語(ハングル)の「ありがとう」
韓国語(ハングル)の「ありがとう」は、「カムサ(感謝)ハムニダ(します)」。
「カンシャ」と「カムサ」、すごく似てます。
実際、カムサ(감사)は「感謝」という漢字をハングル書きした言葉です。(これを「漢字語」と言います)。漢字語はハングル文字が開発される前から中国大陸から伝わり、使われていたそうです。中国語の「ありがとう」
中国語の「ありがとう」は、「シエシエ(謝謝)」。
この「シエシエ(謝謝)」には、「すみません」という意味でも使われるようです。
何かしてもらった後なら「ありがとう」。前なら「すみません」。
日本語でも「謝」は「感謝」の「謝」でもあり、「謝(あやま)る」の「謝」でもありますよね。「謝」は「言」と「射」の二つによってできています。「言」は文字どおり、言葉に出して「言う」ことであり、「射る」は張り詰めた弓から矢が放たれて緩(ゆる)んだ状態を表すそうです。つまり「謝」とは、言葉に出すことによって心の緊張が緩んだ状態をいうのです。
くもりのち晴れめでぃあより
感謝したい気持ち、謝りたい気持ちを「ありがとう」「すみません」と言葉に出すと、心が緩みます。それで「謝」には「ありがとう」と「すみません」の二つの意味があるようです。
YouとIの関係
日本語の「ありがとう」の語源は、「有り難き幸せ」→「有り難い」→「ありがとう」。めったにないことなのだから、喜ぶべきこと、という解説が多いです。
ですが、日常的に使っている「ありがとう」は、「恩を受けた」ことに対する「感謝」の言葉という、ほかの言語の解説の方がしっくりきます。
相手がいて、何かの行為があって、それに自分(だけ)が恩恵を受けたことに対して、お礼の「ありがとう」。
自分と相手との間に、線引きがあって、言う側と言われる側になっている。
YouとIの関係。
「こちらこそありがとう」なんて言うことがあっても、やはり何かの恩恵に対して、線引きをした言葉です。
いっしょに遊んだのだから
保育園で鬼ごっこをしたときは、一緒に遊んでいたので、一方的にお礼を言われる「筋合い」はない。
「遊んであげた」のではなく、「一緒に遊んだ」のですから、YouとIではなく、Weの関係。
「またあそぼうね」とか「今日はたのしかったなぁ」
の方が、よっぽどうれしいのです。
切なさの正体
言う側も、言われる側も、「筋合い」があると、自然と受け入れることができます。
一方で、Weの関係と思っていたのに、お礼の「ありがとう」を言われると、切ない。
なんだ、Weだと思ってたのに、Weじゃなかったんだ・・・。
口をついて出る軽い「ありがとう」が、「Weの関係だと思っていた」関係を崩していくのだとしたら、軽々しく「ありがとう」と言うのも考えものです。
職場の「ありがとう」
職場で、軽々しく「ありがとう」というのは、もしかしたら「Weの関係だと思っていた」関係を崩していっている可能性があります。
ひとりの人間として、ともに働いているのに。
わたしの同僚は、いつのまにか、わたしに対して「ありがとう」と言うようになりました。
それも心から「ありがとう」と言う。
言われる側のわたしは、なんだか切ない気持ちです。
彼が「組織側の人間」になってしまったことの切なさ。わたしを「組織に使われる人間」と見なすようになったわけです。
あなたといっしょに働いている。
「あなたのため」ではないんです。
あなたに「ありがとう」と言われる筋合いはないんです。
すっかり組織側の人間になっていませんか?
「ありがとう」が反射的に口をつきそうになったとき、きゅっと口をつぐんで、「自分もすっかり組織側の人間になっていないか?」と考えてみた方がよさそうです。
今日もよい一日を! Have a nice day!
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