「生まれてきてくれて、ありがとう」。節目の「ありがとう」に込めたい思い

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先日、結婚式に参加する機会がありました。

最後に新婦のお父様の挨拶があり、それはすてきなスピーチで、こちらも何度も涙を誘われました。

「生まれてきてくれて、ありがとう」

と言われたのが、特に印象的で、ひとりの父として考えさせられる言葉でした。

目次

軽い「ありがとう」と、重みのある「ありがとう」

毎日、わたしは何度も「ありがとう」を言います。

仕事でも家庭でも、スーパーやコンビニでも、ほぼ反射的に、口をついて出てきます。

本来の「有り難い」の意味からすると、まったく「有り難くない」頻度で発生します。

軽い。

一方で、結婚式でのお父様の「ありがとう」には、軽いありがとうとは違う「意味」と「重み」が込められていたように感じます。

同時に、嫁いでいく娘に「生まれてきてくれて、ありがとう」では、お父様の伝えたい思いが、十分に込め切れていないのではないか、とも思いました。

ありがとうの語源は?

「ありがとう 語源」と検索すると、主だった由来の中に、とても興味深い解説がありました。

「ありがとう」の語源は仏教にある? – 浄土真宗 1から分かる親鸞聖人と浄土真宗

仏説譬喩経(ぶっせつひゆきょう)に「盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえ」と言われるたとえ話があります。

ある時、釈迦が、阿難(あなん)という弟子に、
「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか」
と尋ねた。
 
「大変、喜んでおります」
と阿難が答えると、釈迦は、次のような話をしている。
 
「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。
その盲亀が、百年に一度、海面に顔を出すのだ。
広い海には、一本の丸太ん棒が浮いている。
丸太ん棒の真ん中には小さな穴がある。
その丸太ん棒は、風のまにまに、西へ東へ、南へ北へと漂っているのだ。

阿難よ。百年に一度、浮かび上がるこの亀が、浮かび上がった拍子に、丸太ん棒の穴に、ひょいと頭を入れることがあると思うか」
 
阿難は驚いて、
「お釈迦さま、そんなことは、とても考えられません」。
 
「絶対にないと言い切れるか」

何億年掛ける何億年、何兆年掛ける何兆年の間には、ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、無いと言ってもよいくらい難しいことです」
 
「ところが阿難よ、私たちが人間に生まれることは、この亀が、丸太ん棒の穴に首を入れることが有るよりも、難しいことなんだ。有り難いことなんだよ」
と、釈迦は教えている。

有り難い」とは「有ることが難しい」ということで、めったにないことをいいます。
人間に生まれることは、それほど難しいことなのです。
仏教では、人間に生まれてきたことは大変、喜ぶべきことであると教えられています。


「ありがとう」の語源は仏教にある? – 浄土真宗 1から分かる親鸞聖人と浄土真宗

これはかなり「有り難い」話。

でも、これが「ありがとう」の語源として正しい説明かな・・・

「ありがとう」では言い表せない

先の、新婦のお父様の「生まれてきてくれて、ありがとう」にもここに違和感があったのかなと思います。

人として生まれてきて、しかも親子だなんて、それは間違いなく、本当に、考えれば考えるほど「有り難い」。

日本語の由来にあてはめると、仏様に「有難うございます」と伝えたい!

となると、「生まれてきてくれて、ありがとう」は仏様に言いたいことで、娘に言いたい「ありがとう」は別にあるのではなかったでしょうか。

「ありがとう」に込めたい思い

「有り難きこと」を喜ぶ「ありがとう」とは別のニュアンスで、ただ単にお礼としての「ありがとう」もあります。毎日のありがとうは、これにあたります。

誰かが、何かをしてくれて、自分に恩恵があった時、お礼の言葉を言います。

手伝ってくれて助かった、ありがとう。

下の子の面倒を見てくれて、ありがとう。

雨の中、迎えに来てくれて、ありがとう。

家族は恩恵の関係ではない

嫁いでいく娘に伝えたい「ありがとう」は、お礼ではなさそうです。

普段、伝えることはないけど、「節目」の力を借りて、思いを伝えたい場面。

それは、自分が死の際に至った時に、家族に伝えたい「ありがとう」に近いような気がします。

見送る子からすると、家族はお礼を言う恩恵の対象であるかもしれません。

「(育ててくれて)ありがとう」

言う側の筋合いと言われる側の筋合いは、わからなくもありません。

が、親からすると、家族は恩恵の対象ではありません。育てるのはあたりまえですし、実際は、子どもが勝手に育っている面と、親が子どもに育ててもらってる面もあります。

だから、子に「(育ててくれて)ありがとう」と一方的に言われる筋合いはない

違う立場で、それぞれの「ありがとう」

けど、「(そんな風に言ってくれてうれしいよ)ありがとう」とは言いたい。

こうして「ありがとう」を交わしあいながら、お互いの思いを感じあっているのかもしれません。

それでも節目ぐらいは、なんとか言葉にして伝えたい!

お互いに「ありがとう」を交わし、一旦の別れを告げるとき、どんな思いを込めたいですか?

それはどんな言葉になりますか?

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この記事を書いた人

年間100リットルのビールと100リットルのコーヒーを飲み、200杯のカレーと300杯の味噌汁と60㎏の米を食べ、2500時間眠ります。

大阪生まれ。中学高校は東京。地方大学を卒業。在学中にオーストラリアや東南アジア放浪10か月を経て、農業法人に就職。在職22年。

22歳までは家族と社会に育てられ、66歳まで会社勤め、88歳で生涯を閉じるとすると、44歳はキリのいいターニングポイントと思い立ち、ブログをはじめました。

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